青春のひとこま 「GOLD」

1980年代後半といえば、バブル全盛期で日本はアメリカ全土を買える勢いでした。(今考えるととんでも無いことですけど。)地価は高騰して、土地転がしが横行し半端ない価格での不動産売買が成り立っていて、東京都内に庶民が家を持つことなんかとても考えられない時代でした。深夜のタクシーの乗車拒否は当たり前で、仕事が遅くなり終電を逃した時には、タクシーが捕まらず歩いて帰ったこともあります。

その頃の職場は青山で、住んでいたのは世田谷代田だったので、頑張って歩こうと思えば歩ける距離でした。若かったし。(笑)

 

そんな時代、週末の仕事帰りは必ず踊りに行っていました。(笑)

アパレル業界は夜遅くまで働くのが好きな人たちが多く(今でも変わっていないメゾンもあると思いますが。)、深夜0:00過ぎから遊びに行っていましたね。(若い!)

 

表向きのバブル全盛期の踊り場(クラブというよりディスコでしょうね。)は、「ジュリアナトウキョウ」や「マハラジャ」でした。お立ち台でセンスを振って踊る、ワンレンボディコン(ロングの髪を片側の分け目でわけて、ボディコンシャスのワンピースを着用、平野ノラさん的な感じ。)のお姉様方々が有名でした。ま、ナンパ目的が多かった思いますし、男性の方が入場料金が高く、同伴率が多かったように思います。

と言っても、私達のチームはデザイナーズ系なので(YOJI YAMAMOTOやコムデギャルソンなどが代表的)、クラブもまったくマイナー、インディーズ路線でした。黒が主体の服装で通称カラス族と呼ばれていました。

思い出して文章にすると、かなり笑える光景ですね、今考えると。

 

そんな私たちのニーズを満たしたクラブが「GOLD」でした。ドラッグクィーンや、ゲイ、レズは当たり前、今で言うLGBTQも含めた全てが集える踊り場でしたね。

他は、六本木でもど真ん中ではなく、飯倉片町方面や霞町界隈のクラブで、私たちが好きなHOUSE系やTECHNO系の音楽で踊れる箱(クラブ)に集っていました。

 

そんな「GOLD」は1Fから4Fまでが踊り場で、5Fが「LOVE&SEX」、6Fが「YOSHIWARA」、7Fが「URASHIMA」というフロアに分かれていて、それぞれのフロアでイベントが開催されていました。

どこかの階にお風呂があり、どこかの階はキックボクシングも開催されていたような記憶があります。

当時このようなアンダーグラウンド的なムーヴメントでは最先端な、NYやLONDONから多くのクラブDJが回していて、ものすごく盛り上がっていました。

特に「YOUTH QUAKE」のイベントはいつも人種や、性別関係なく最高に盛り上がっていた記憶があります。

「GOLD」がある田町まで、会社がある青山から乗り合いでタクシーで向かい、帰りはそれぞれタクシーで帰るという、若干20代でかなりバブリーな生活をしておりました。(笑)

なぜこのような事を記載したかというと、つい先日原宿で「GOLD」の回顧展があり、行ってきてあれやこれやと当時を思い出し、コロナ禍で青春を過ごしている若者たちと比べてなんとおおらかで、幸せだったのかと、たった数十年でこんなにも世の中は変わってしまうものなのかと、しみじみ感じたからでした。

 

当時は、持つ者と持たざる者の差が激しく、持たざる者はある意味希望が無かったかもしれませんが、逆転はかなり可能な時代でした。が、今は世界中を蔓延している閉塞感をどうやったら抜け出せるのかが見えない時代が続いています。

 

ひとときの思い出に浸りながら、世界の厳しい現実に直面しています。

が、明日の朝は再びひとときですが、希望をつなぐWBCを応援したいと思いますし、お墓参りにも行く予定です。お彼岸ですしね。平和な日々を噛みしめつつ、日々を重ねられる事に感謝ですね。