3月11日を3日過ぎました。
当日は黙祷はもちろんのこと、忘れることなんてできません。
当時、すでに独立して会社勤めではなく、自宅兼事務所で仕事をしておりました。(レディスウエアの企画)
ものすごく揺れましたが、棚から物が落ちることはなく、しかし仕事机の上のコーヒーがこぼれたので、
これはとうとうきたかもしれない(首都直下型地震)と覚悟したのを覚えています。
が、特に変わった様子はなかったので、揺れがおさまって、しばらくは仕事をしていて最寄りの運送会社にサンプルなどを出しに行きました。(この時点ではたいそう呑気な感じでした。)
が、何だか外の様子がいつもと違う気がして、もどってTVをつけてみたところ、物凄い映像が流れていました。
リアルな津波をTVで見るなんて思ってもいなかったですし、海水はどんどん内陸に押し寄せて全てのものを押しやっていく様子なのです。
神戸の震災の時も最初は爆弾が落ちたのかと思いましたが、津波の衝撃も凄まじかったです。
私の叔父は山形で土木関係の仕事をしていたので、流れたものの撤去などの手伝いにいち早く現場に入ったそうです。車ごと流されて亡くなった方のご遺体はそのままだったり、木にご遺体が引っかかっていたりと、その時の光景は、今でも忘れられないと言っていました。
そして、原発の事故が起こります。今も帰宅困難な方や、仮設住宅にお住まいのかたなどまだまだ復興はしていません。福島の原発の電力はほとんど東京に送るためのものでした。当時電力が不足して薄暗かったことを記憶しています。しかし、今ではもう煌々と輝いていますがこの明るさは本当に必要なんでしょうか?
せめて、3.11くらいは当時の暗さにしてもう一度考え直してみるなどしても良いような気がします。この電気はどこからくるのか、何を原料にして電力を得ているのか。
のどもとすぎればなんとやらが多すぎると思いませんか?そう思うのは私だけでしょうか。
様々な災害が起こるたびに、防災を考えようと特集が組まれます。が、当時の状態を今一度体験する機会を設けて自然災害に対して謙虚に物事を考えるような仕組みはできないものかと、もんもんと考えたりしています。
実際、地域の避難訓練に参加してみると避難所の狭さと、バリアフリーではない建物ばかりなので、体に障害のある方はとても非難できないと感じます。
皆さんも、是非地域の避難訓練に参加してみてください。そうすれば3.11の時どんなだっただろうなと想像力を働かせて福島の方、仙台の方にほんの少し、寄り添えるのだろう思います。